※下記は経営者通信8号(2010年9月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。
―池田さんは27歳で実家の愛宕神社を継ぎ、同じ年に現在のNSGグループを設立しました。当時はビジネスのノウハウも資金もなく、周囲の反対もあったと思います。そんな環境下で、どうやって事業を興したのでしょうか?
池田:当然、最初は父や氏子さんから猛反対されました。なぜ神主が事業を興すのかと。でも必死に夢を語って、理解を得ることができました。その夢とは、新潟に日本一の教育機関をつくること。そして、地元経済を活性化させることです。ありがたいことに、父からは500万円もの大金を借りることができました。また共同創設者のいとこも、彼の父から500万円を借りることができました。さらに銀行から2000万円の融資を受け、神社の境内に2階建ての木造校舎を建設。その小さな校舎の中で、学習塾やカルチャースクール、語学学校、国家試験の受験塾などを始めました。
―校舎ができたとはいえ、まだ学校には何の実績もない状態ですよね。学校経営は順調に進んだのですか。
池田:いえ。最初の1年は苦労しましたね。当時はとにかくお金がありません。生徒数の見込みも立たない。ですから、講師の先生に来てもらうのも大変でした。そこで、先生にはとにかく夢を語りました。「新潟に日本一の教育機関をつくりましょう」と随分熱く語りましたよ。そうやって必死に想いを訴え、優秀な先生方に来てもらうことができました。
―周囲に夢を語ることで、創業期を乗り越えてきたんですね。その後、今日まで順調に成長してきたのでしょうか。
池田:いえ、決して順風満帆ではありませんでした。その中でも最大のピンチは設立7年目。当時、事業は順調に伸び、新しい専門学校の建設計画が進んでいました。でも、その年は見込んでいた売上が上がらなかったんです。当初の計画の8割ぐらいしか生徒が集まらなかった。このままでは、新たな専門学校の建設資金が底をつきてしまう。もし学校の建設が1年遅れると、今後の収益計画が大きく狂います。なんとかして追加資金を集めなければいけない。タイムリミットは1ヵ月でした。
―どうやって、そのピンチを乗り越えたのですか?
池田:金融機関に融資をお願いしました。ほとんどの金融機関には断られましたが、三井銀行(現:三井住友銀行)さんだけは熱心に話を聞いてくれました。私の地域活性化にかける想いを評価してくれたのかもしません。ただし、融資を受けるためには「綿密な事業計画書を提出する」という条件がありました。でも、私はきちっとした事業計画書を書いたことがない。すると、支店長さんが書き方を丁寧に教えてくれたんです。三日三晩つきあってくれた。結果、銀行の審査を通過し、融資を受けることができました。ただ、それでも資金が足りなかった。こうなったらランニングコストを徹底的に削るしかない。やむを得ず、社員のボーナスを減額しました。その時は社員一人ひとりと話をし、夢を語りましたよ。「地域のための専門学校をつくりたい。1年だけ辛抱してくれ」と。最後は堅い握手を交わし、なんとか理解してもらえました。