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株式会社川小商店 代表取締役社長 齊藤 浩一

本気で、サツマイモと向き合う。目標への道しるべがそこにあるから。

株式会社川小商店 代表取締役社長 齊藤 浩一

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浅草と聞けば、老舗のお店が立ち並んでいる情景が浮かんでくるのではないだろうか。今回取材させていただいた川小商店もその中の1社である。同社は浅草を中心に14店舗を構え、大学芋を中心にサツマイモ菓子の販売を行っている。その繁盛ぶりは、平日でも行列ができるほどだ。我々も店舗に足を運んでみたが、人で溢れており、従業員も実に充実した顔で仕事をしていた。同社は、今でこそサツマイモ菓子の小売を中心に事業を行っているが、その歴史のほとんどをサツマイモ問屋として過ごしてきている。卸売も小売も合わせて、140年以上サツマイモ一筋で事業をしてきている同社が、今後どのような未来を描いているのかを、齊藤社長から伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
  • 社風
    気持ち良く働くことで、お客様に笑顔になってもらえる。
    同社の社風は「協力して気持ち良く働こうとする姿勢」ではないかと、取材をする中で感じた。齊藤社長がいつも社員に伝えていることは「ケンカはしないで」ということ。店を支えてくれている社員に、少しでも働きやすい環境で働いて欲しいと考えているからだ。昔、サツマイモの卸売を主事業として行っていた頃は従業員も少なかったが、大学芋を始めとするサツマイモ菓子の小売を始めてからは、社員が爆発的に増えた。そして、その社員に支えられて店舗運営ができているからこそ、社員には少しでも良い環境で働いて欲しいと考えているのだ。だから、売上をあげることに対して口うるさく言って頑張らせることも無い。働きやすい環境を提供することで社員が頑張れる環境を提供している。
    そして社員も、皆が良い雰囲気でいられるように努めている。店舗を越えた交流も盛んなようだ。社長を始めとして会社全体で、皆が気持ち良く働けるようにしていることで、それがお客様にも伝わり繁盛しているのだろう。
  • 独自性
    当たり前じゃない当たり前が独自性。
    店頭で調理・販売すること。言葉にすると、簡単で当たり前のことのようだが、意外にも行っている会社は数少ないという。14店舗も展開していると、味のバラツキや、衛生面でのトラブルなどのリスクが付きまとうからだ。「大学芋は、昔から目の前で揚げるのが当たり前だったからそれを続けているだけ」と齊藤社長は言うが、それを実現させるためには並々ならぬ苦労があったに違いない。この方式は、お客さんからすると商品が「安心・安全」であることが分かり、社員からすると自分の作ったものに対してお金を出して買っていただけるという喜びがある。他の会社がしないことをしていることで、お客さんと社員のためになっているのだ。我々も取材後に大学芋をいただいたが、確かにスーパーなどで売っている大学芋よりも明らかに高い。だが、交通費を出してでも、また買いに来たいと思わずにはいられなかった。同社の独自性がその価値を生み出している。
  • 展望
    新時代の農業を成立させる。
    誰もが継続できる、新時代の農業を成立させること。それが齊藤社長が目指す川小商店の姿である。実は他の農家と同じく、サツマイモ農家も様々な理由で減少していっている。原材料にこだわる同社の眼鏡にかなう農家は元々少ないため、農家の減少は原材料枯渇の危機と言っていいだろう。その危機を、自ら栽培を行うことで回避しようとしているのだ。過去、サツマイモを大量栽培し卸売をメイン事業としていた同社からすれば原点回帰とも言えるだろう。だが、今回目指す農業は、普通思い浮かべる農業とは異なる。齊藤社長は「最先端の技術を入れた農業にしたい」と語っている。ドローンや自動トラクターを利用したり、ビッグデータで収穫のタイミングを見極めるなどして、汗臭く、また長年培った知恵で行ってきた部分を、経験の浅い人でも誰もが継続して行っていけるようにしていくのが齊藤社長の目指す農業の姿だ。ぜひとも完成形を見てみたい。新たな川小商店の姿が何とも楽しみである。
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明治9年からサツマイモ一筋
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同社自慢の大学芋
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店舗での調理にこだわり続ける

齊藤社長の夢はサツマイモに留まらない

川小商店の歴史を教えてください。
齊藤家は元々川越藩、今で言うところの埼玉県朝霞市に広大な土地を持つ農家でした。そこで大量のサツマイモを栽培し、江戸の芋問屋に卸すということをしていましたが、買い叩きなどもあったみたいで、それなら自分で直接売ろう!と決めて浅草に出てきて、焼き芋屋さんなどに直接卸し始めたのが川小商店の始まりです。しかし、浅草に多くいるようにしたことで、戦後の農地解放の時に、不在地という扱いを受けて農地どころか家まで持っていかれてしまいました。そのようなこともありながら昭和50年に駒形に店舗を出して、今では14店舗まで拡大してきました。今後も様々なことが起きると思いますが、サツマイモをたくさんの方に親しんでいただけるように粘り強く取り組んでいきます。
サツマイモを広めていきたいと思ったきっかけは何ですか?
私が幼少の頃は、サツマイモ問屋として事業をしていましたが、父親である先代の社長に対して「何でサツマイモなんか売っているの?」と思っていました。ですが学生時代、タイに入ってくる移民の方々をボランティアで支援をしていた時に、サツマイモの面白さに気づいたんです。移民の方に国が用意している土地は正直荒地で、農業をして暮らそうとしても作物なんか栽培できない環境だったのですが、サツマイモは栽培できたんです。日本でも飢饉の際にサツマイモが人々を救っていたのですが、それを実際に目の当たりにして「これは面白いかもしれない」と思ったのがきっかけですね。今ではサツマイモ一筋です。
齊藤社長が思い描いている夢を教えてください。
施設で暮らす人達が、自分自身で稼ぐことができる環境をつくることです。ある施設の方から突然「施設で暮らす方の支援のために協力してください」と連絡があって、あまりにも大変さが伝わってきたので会ってみたんです。そうしたら、私は施設で暮らしている人は国の補助などで守られていると思っていたのですが、施設自体には補助金が出るものの、暮らしている人は働いて得たお金しか自分のものにならないということを知ったんです。そういう人達の仕事を生み出すために、今当社で取り組んでいる農業とコラボして何かできないかと模索しています。やっぱり、知ってしまったら無視できないですよね。自分たちの扱う範囲でできることであればそういうことにも積極的に取り組んでいきたいですね。

KEYPERSON

株式会社川小商店 代表取締役社長 齊藤 浩一

老舗の切り込み隊長として「味」を守りつづける

株式会社川小商店 伝法院東通店 店長 大川 武則

140年続く老舗で入社2年目にして店長になり、その後、新規店舗が出る度に、切り込み隊長として新規店舗の店長を任され続けてきた大川さん。今は同社の重要店舗である、伝法院東通店を任されている。店舗の活気と、サツマイモ1本で商売をしていることに惹かれて入社してから20年が経つが、取材に応える大川さんからは、やる気とエネルギーがビンビンと伝わってきた。新規店舗を次々と繁盛させてきたことから来る自信と、同社を背負っているという自負がそうさせるのだろうか。今回は、同社の繁盛請負人とも言える大川さんから、ご自身の夢、同社で働く楽しみ、社員から見る社長像など、幅広く伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
  • 入社理由
    サツマイモの生み出す活気に魅かれた。
    驚いてしまうほどの活気。それが入社の決め手だった。大川さんは、父親が飲食業をしていた影響もあり、同社への入社前は飲食店で調理を担当していた。その店が畳まれることになった際に、接客販売にも興味があったことから、調理と接客販売どちらにも携われる会社を探していたところ、同社が目に止まった。「あの浅草でサツマイモ1本で商売?」見に行かずにはいられなかった。平日に見に行ったそうだが、行列ができており、活気に溢れていた。下町らしいきっぷの良いやり取りも魅力的だったという。「ここにしよう」そう決めた大川さんは同社にしか応募しなかった。今では入社して20年ほどが経ち、店長としては15年の経験を積んでいる。入社の理由だけでも、社員代表として取材を受けるよう任命されたことに納得だが、業務の面でもそうなのだろう。ぜひとも大川さんの店舗に足を運んで欲しい。同社一の笑顔で迎えてくれるはずだ。
  • やりがい
    たまらないほどの活気と、お客様の笑顔。
    「ありきたりですけど」と前置きをした上で「販売をしているものとして、買っていただいた方、食べていただいた方の笑顔が日々励みになっています」と、心の底からそう思っているのが伝わってくる声で語ってくれた。この他にも店長としてのやりがいもある。浅草と言えば老舗有名店がひしめいているが、その中で自分の担当する店舗が繁盛していると「やっていてスカッとする」と言う。販売をしていない方でも何となくその気持ちが分かるのではないだろうか。店長をしている大川さんは、その何倍もの気持ちよさを感じていることだろう。実際に大川さんの担当する店舗に足を運んだが、驚くほどの活気があって繁盛していた。大川さんと目が合った時「たまらないでしょ?」と語りかけられているような気がした。大川さんはこれからも川小商店を代表する店長として、多くのお客様に愛されながら、やりがいを感じながらイキイキと働いていくのだろう。
  • 夢
    サツマイモを多くの人に親しんでいただきたい。
    「いつの日か独立し、サツマイモを色々な人達に拡げていく商売をしていきたい」と、同社の「サツマイモを多くの人に親しんでいただきたい」という思いを体現した夢が飛び出してきた。大川さんは同社の切り込み隊長であり、繁盛請負人だ。新規店舗出店となれば、そこの店長に任命され、近所のお店との関係性構築から、人材の教育、口コミによる集客など、多岐にわたって動き回り繁盛させてきた。同社で培ったこの手腕があれば、大川さんの夢は実現するだけでなく、成功するに違いない。また、独立するしないに関わらず、これからも切り込み隊長として新規店舗出店を成功させ、人材育成をしていきたいという強い意志も見られた。大川さんの意思が重要だとは言え、もし独立したいと言われた時、果たしてこのような素晴らしい人材を手放すことができるのだろうか。いずれにしても、大川さんは同社の思いを体現し続け、サツマイモを多くの人々に拡げていくために動き続けていく。
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飛び切りの笑顔で出迎えてくれる
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平日でも行列のできる伝法院東通店
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活き活きと取材に応じてくれた

大川さんの語る同社の魅力

調理・販売をする上で重要なことは?
「同じ味を作り続ける」ということですね。大学芋の場合ですと、最後にかけるタレ以外は全て、お客様の目の前で調理をしているので、1歩間違えると買うタイミングや店舗ごとで味が違うということが起きてしまいます。私の考えですが、弊社はサツマイモ1本でやっている「サツマイモ専門店」ですので、そういう味の違いをお客様に指摘されるようではいけません。今後も新規店舗を出す予定がありますが、お客様が求めている味を守る為にも、商品を作る店舗スタッフの育成が重要になってきます。私は、弊社の切り込み隊長として人材の育成にも力を入れていき、どんなに店舗が拡大したとしても、いつでもどこでも「同じ味」が楽しめるようにしていきます。
大川さんから見て、社長はどのような方ですか?
一言で言うと「気さくな方」ですかね。もちろん威厳はあるのですが、社長の方からよく声を掛けてくれますし、店舗にもよく顔を出しにきてくれますので、相談などもとてもしやすいですね。働きやすさをつくってる1つの要因だと思います。あとは、ブレない軸があると感じます。やはり明治から続くサツマイモの商売を受け継いできているので、商品に対してのこだわりが強いですね。特に安心・安全という面では、離乳食にしても問題ないというくらい、材料にこだわった商品づくりをされてて、弊社が大事にしていかないといけない部分を背中で見せてくださっていると感じます。付いていきたいと思わせてくれる社長ですね。
同社で働く楽しさを教えてください。
工夫のしがいがあるところですね。弊社ではさつまいも菓子を何種類か販売していて、大学芋は、その時期に旬なさつまいも2品種を使って、常時2種類の大学芋を販売しています。その2種類の大学芋をセットにして販売するなど、販売の仕方を店舗側で提案できるようになっているのですが、直接売上に影響してくることも多いので、工夫しがいがあるなと感じています。そういうこともあって、その店にしかないセット商品があったり、ソフトクリームのトッピングが店ごとで違ったりという面白さがありますので、ぜひ色々な店舗を見ていただけたらと思います。今後も、お客様に少しでも喜んでいただけるような工夫をしていきます。
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■監修企業からのコメント

株式会社川小商店 代表取締役社長 齊藤 浩一

噴出し左
この度は取材させていただきまして、誠にありがとうございました。 私自身そうですが、サツマイモは日本人全員にとって身近な存在であると思います。そのサツマイモをこれだけ大事に扱われている貴社のことを取り上げることができて光栄です。今後のサツマイモを通じた貴社の活動を楽しみにしております。
■掲載企業コメント

株式会社川小商店 代表取締役社長 齊藤 浩一

噴出し右
取材を終えた感想
この度は取材していただきましてありがとうございました。会社のこと、自分自身の描いていることなど、口に出して話したことで整理できたように思います。弊社はこれからもサツマイモ一筋です。この記事を通してサツマイモについて興味を持っていただいたり、より親しんでいただけたら幸いです。
株式会社川小商店
代表取締役社長 齊藤 浩一
1876年 問屋による買い叩きにあったことから
     「自らの手で販売しよう」と、田畑を小作に委ね、
     初代 斎藤小平次(20歳)は、川越より上京舟運を
     利用できる大川端(隅田川沿い)駒形に
     甘藷(サツマイモ)問屋『川小商店』を創業。
     「川小商店」の由来は、「川越から来た小平次の店」
     という意味で付けられた。
1883年 東京甘藷問屋組合に加入許可される。
1923年 当時では希少な木造3階建ての小売部新築。
     三ヵ月後の関東大震災で小売部卸売部ともに焼失。
     壊滅的打撃を受けるが、再建。
1935年 甘藷売捌所(支店)12ヶ所となる。
1945年 第二次世界大戦、東京大空襲にて本社・住居共に消失。
1955年 二代目 直衛『東京甘藷問屋組合』理事長に就任(53歳)。
1981年 甘藷問屋『川小商店』から『株式会社川小商店』に改組。
1983年 株式会社川小商店本社ビル(5階建)を新築・落成。
1984年 株式会社川小商店の小売部門が発足
     (おいもやさん興伸の前身)
1985年 サツマイモ菓子専門店おいもやさん『興伸』の1号店を
     台東区駒形に出店。
1988年 屋号を『おいもやさん』とする。
1995年 屋号『おいもやさん』の商標登録取得。
     現在13店舗の直営店を運営
創業年(設立年) 1876年
事業内容 甘藷(サツマイモ)及びサツマイモ加工品の卸売 馬鈴薯(ジャガイモ)及びジャガイモ加工品の卸売 サツマイモ菓子の製造・小売り(浅草おいもやさん興伸)
所在地 東京都台東区駒形2-1-26
資本金 1,500万円
従業員数 75名(パート含む)
企業URL https://www.oimoyasan.com/company.html
採用情報はこちら
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