DENTOU TIMES

株式会社二木 代表取締役社長 二木 正人

本当においしいお菓子を提供して、
家庭の団欒に貢献する

株式会社二木 代表取締役社長 二木正人

お菓子の業界は、1万円のお菓子の儲けがたった100円と言われるほど薄利多売のビジネスだ。一つひとつの単価が安いことに加え、商品がかさばり、運送や保管に経費が多く掛かるためである。しかし、株式会社二木は、お菓子業界のパイオニアとして道を切り開き、業界では大型店は決して成功しないと言われている中で、次々と店舗を増やしていった。現在では関東を中心に18店舗を構える。その二木の成長を支えるのは、お客様のためにとことん努力するという二木イズムだ。戦後まもなく、東京が焼け野原だった時代から現在に至るまで、本当においしいお菓子を提供して、家族の団欒に貢献してきたのである。今回の取材では、株式会社二木の二代目社長である二木正人社長に、二木イズムの神髄と、これからの二木の展開について伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
  • 社風
    競争の街で磨かれた、お客様の期待にとことん応える姿勢
    『千客万来』の言葉の通り、二木ではお客様にファンになってもらい、何度も店舗に足を運んでもらうことを目指している。しかし、アメ横は競争の街。何社もの同業他社がひしめく中で、何度もお客様に選んでもらうことは至難の業である。その環境の中で、二木が『二木の菓子』というブランドを確立できたのは、社員一人ひとりがお客様の期待に応えようと、とことん努力する姿勢を持っているからだ。
    かつては『安さ』こそがお客様にとっての期待だったが、時代の移り変わりとともにお客様の期待が『安さ』から『バラエティ豊富な品揃え』へとシフトをしていく中で、二木は他のどの会社にも負けない日本一の品揃えを実現するために、仕入れ会議を実施。日本中からありとあらゆるお菓子を集め、とことんアメ横で一番になるための努力を重ねた。安さから品揃えへとお客様の期待することが変わっても、追求をし続ける姿勢。この姿勢こそがアメ横で生き抜いてきた二木の社風である。
  • 独自性
    日本中から選りすぐった『二木だから出会える』商品たち
    日本全国から集められたお菓子の豊富な品揃えこそ『二木の菓子』の大きな特長だ。取材で訪問したアメ横ビッグ館は、『二木の菓子』を代表する店舗。60年以上の歴史があり、18店舗ある『二木の菓子』の中で最高の売上を誇っている。
    フロア全体に所狭しと多種多様なお菓子が並べられた売場はまさに圧巻。その品揃えの豊富さには、お客様からも『これ全部お菓子なの!すごい!』と驚きの声があがるほどだ。例えば、ビッグ館では壁一面がずらりと駄菓子の瓶が並べられ、お菓子を選ぶ楽しみを感じられる。さらに、二木のプライベートブランドである『ふたつ木』の商品も魅力的だ。自社開発した焼き菓子のフィナンシェや最中は、二木社長の『うまいものをつくれ!』という号令のもとで開発されたこだわりの商品。手ごろで身近な商品から、値段は高くてもおいしさにこだわりにこだわった商品まで、お客様の期待に応えられる品揃えを実現している。
  • 展望
    お菓子を通じて、家族の団欒に貢献し続ける
    本当においしいお菓子で、人々の笑顔をつくり、家族の団欒に貢献すること。二木がこれからも取り組み続けることであり、理想である。
    『おいしいお菓子は人を笑顔にする』と二木社長が言うように、お菓子があるところには楽しい会話が生まれ、心地の良い雰囲気が生まれる。二木は戦後間もない時代から現代に至るまで、お菓子を通じて人々を笑顔にし、人々の豊かな生活に貢献してきた。そしてこれからも、大切にしてきたお菓子に対する想いをより一層磨き、お客様の家庭を豊かにすることに力を入れていく。
    これから二木が取り組んでいくのは、日本のそれぞれの地で長年愛されながらも、多くの人には知られていないお菓子を発掘してそのおいしさを多くの人に伝えていくことや、自社ブランド『ふたつ木』のお菓子に磨きをかけていくこと。どちらもお菓子のプロである二木だからこそできることだ。
    創業から60余年、店舗からお客様、お客様から家庭へとお菓子を届け、家庭の笑顔に貢献してきた二木。これからもおいしいお菓子の発信地として、二木にしかないお菓子でお客様の笑顔をつくり、家庭の団欒に貢献するのが二木の使命だ。
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かつてのアメ横の様子
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所狭しとお菓子が並ぶ店内
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昔懐かしのキャンディーも扱う

二木が歩んできた歴史と挑戦

―二木の創業時について教えてください
戦後、誰もが甘いものを欲していた時代、上野駅周辺には数百件もの芋アメ屋が並び、上野駅を起点とする沿線から連日買い出しの人たちが行列をなしていました。それがアメ横の始まりです。
ほぼ同時期の1947年、創業者の二木源治が板橋に二木食品工業所を創業しました。創業者は『おこし』や『バクダンあられ』、『かりん糖』をつくって、当時区画も決まっていなかったアメ横に持ち込んで販売したそうです。ですが、当時は大変な苦労がありました。二木はアメ横では後発だったので、売場を荒らされたり、暴力沙汰に巻き込まれたりといったトラブルもありました。しかし、『多くの人に甘いものを届けたい』という想いのもと、幾多の苦労を乗り越え、アメ横の一角にみかん箱一つほどのスペースを確保することができました。そこから二木の歴史が始まったのです。
―『二木=安売り』のイメージをどのように変化させてきたのですか
二木の原点に改めて立ち返ることで、変化することができました。
高度成長期に、お菓子の消費量が年々増えていた時代には、薄利多売で、量を売ることで利益をつくることができていました。二木も、『二木=安売り』というイメージで、長年、お客様に愛されていました。
しかし、時代の変化とともにお菓子の消費量が減少し、安いだけでは商売にならない時代が訪れました。その時代背景の中で、『日本中の美味しいお菓子を揃えている』ことを打ち出したかったのですが、社員ですら『二木=安売り』というイメージを持っており、なかなか脱出できなかったのです。その状況を打破できたのは、お客様に求められる商品を追求するという原点に改めて立ち返る努力をしたためです。毎月の会議で、日本全国からお菓子を集め、一つひとつを試食しました。そうして新たに売場に並べるものを自分達で決めました。その後、実際に売れるのか現場で検証することを繰り返し、お客様に本当に求められているものを少しずつ明らかにしていったのです。そうやって、『二木=安売り』のイメージから、おいしいものを揃える二木へ変化してきました。
―近年、二木にとって大きな転機となったことを教えてください
二木の原点に改めて立ち返ることで、変化することができました。
『二木の菓子』をソラマチに出店したことです。ご存知の通り、東京ソラマチはスカイツリーのお膝元で賃料が高い立地です。そのような場所で求められるのは安いお菓子ではなく、少々高くても、おいしいと思われるお菓子です。ですから、安く売ることを強みとして商売をしてきた二木にとって、ソラマチへの出店は大きな挑戦でした。
その挑戦の中で、『ふたつ木』の商品が大ヒットしました。『ふたつ木』の商品は、『とにかくおいしいものをつくれ』という方針のもと、開発時は、原価を度外視して開発にあたりました。価格は高くても、とことんおいしいものを追求したかったので、焼き菓子のフィナンシェにしろ、最中にしろ、何度もアイデアを出し、味を確かめ、試作品を120種類以上つくった中から、満足いくものだけを商品として採用しています。
二木が満を持して打ち出した『ふたつ木』ブランドの商品がソラマチでも好評をいただけているということで、二木もおいしいもので勝負できるという自信をつける出来事となりました。

KEYPERSON

株式会社二木 代表取締役社長 二木 正人

日本のお菓子を守る その一翼を担いたい

株式会社二木 アメ横ビッグ館 店長 大野桂司

平日でも一日十数万人、年末には一日に五十万人以上が訪れると言われるアメ横。御徒町駅から活気あふれるアメ横に進んで、一つ目の角を曲がってすぐのところに、二木の菓子の中心的店舗である『二木の菓子アメ横ビッグ館』はある。『二木の菓子アメ横ビッグ館』おなじみの赤い看板と、赤いのぼりを掲げるビッグ館はいつも活気にあふれており、アメ横の代名詞とも言える店舗だ。今回お話を伺ったのは、その『二木の菓子アメ横ビッグ館』で店長を務める大野さん。現場からの叩き上げで30年、日本全国から価値あるお菓子を発掘して店頭に出し、お客様の笑顔をつくってきた。今回は大野さんに、お客様の変化、そして、お客様の笑顔づくりに向けた、大野さんの取り組みに関してお話を聞かせていただいた。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
  • 入社理由
    お菓子は人の笑顔をつくる
    大野さんが二木と出会ったのは、大学生のアルバイトの時だ。当時の二木には、各地の駅の中や百貨店に出店し、1週間ごとに移動をしてお菓子を売る、催事という部署があった。大学生であった大野さんは、催事部のアルバイトとして『二木の菓子』で働くようになる。『お菓子を買った人がみんな笑顔で帰っていく、そんなお菓子売りの商売が楽しそうで』とアルバイト当時のことを振り返る大野さん。当時から関東で有名であった『二木の菓子』の名前に惹かれての応募であった。
    催事部から始まった二木での仕事は、今年で30年になる。30年もの間、笑顔づくりが、楽しみであった。29歳の時には、社員となりアメ横の店舗に異動。その後、郊外にディスカウント店を展開する戦略に合わせて、店長として新松戸店に赴任。店長としてスタッフがお客様の笑顔を増やしていくことを軸とした店舗づくりを行ってきた。そして、現在は『二木の菓子』最大のアメ横ビッグ館で店長を務め、多くの笑顔をつくっている。気づけば30年。大野さんは当時の想いのままに、今日も笑顔づくりに貢献する。
  • やりがい
    創意工夫によって、より良いお店を
    『自分にお店を任せてもらえることに誇りを感じています』と大野さんはそのやりがいを語る。二木では、伝統的に店舗のこと全てを店長に任せている。例えば、人の手配、お金の管理、売る商品に至るまで、本社の意向に左右されず、全て店長が決めることができる。つまり、店舗を伸ばすも潰すも店長次第ということだ。その責任感が大野さんを奮い立たせる。 現在大野さんが店長を務めるアメ横ビック館は、18店舗ある『二木の菓子』の中で年間売上が1位、60年以上の歴史を有する代表的な店舗だ。大野さんは、お客様の期待に応えるため、ひいては二木の看板を守るため、日々創意工夫を重ねている。例えば、お客様を観察し、売れている商品、売れていない商品を見極め、商品を選りすぐって売場に揃えること。さらに、POP一つ、売場の声掛け一つをとっても、その追求に際限はない。店長として責任感を持ち、一つひとつの努力を積み重ね、お客様の期待に応えられるお店をつくっていくこと、そこに大野さんのやりがいがある。
  • 夢
    日本各地のお菓子とそのファンを守る
    『店長として臨む、月に一度の仕入れ会議では、実際に毎回数百種類のお菓子を食べ、仕入れる商品を決めているんです』と言う大野さん。アルバイト時代を含めて30年近く菓子業界に勤めている大野さんでも『毎回初めて見る商品がある』ほど、菓子業界のすそ野は広い。
    しかし、そんな日本の魅力的なお菓子の中には、ひっそりと消えていく商品もある。特に近年では、地方の中小菓子メーカーの廃業に伴い、生産中止になってしまう商品が増えている。大野さんが心を痛めているのは、生産中止を知らず、今まで通りに買いに来たお客様に残念な思いをさせてしまっていることだ。これ以上お客様を悲しませないため、ご自身の店舗で、日本各地で長年愛されてきたお菓子を仕入れて売り、そのお菓子のファンを守る。日本各地のお菓子とそのファンを守ることに、菓子業界に携わる者として本気で取り組んでいくこと。それが大野さんの夢であり、使命だ。
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二木の菓子第一営業所
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ビッグ館の広大な売場
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「ふたつ木」のオリジナル商品

現場を知り尽くした店長が感じる変化と成長

―現場から見たお客様の変化について教えてください
一般的に『二木の菓子=安さ』というイメージでお客様が足を運んでくださっていましたが、今は、おいしいもの求めてお客様が来店されています。
お客様が購入される商品も変わってきていますね。昔は、安いものを求めて来店される方が多く、少し前は安いものと一緒に、少し値段は高いけれども珍しいものが売れていました。そして、最近の傾向では、安いもの珍しいものと一緒に、おいしさにこだわったものを一緒に購入される方が増えています。例えば、少し値段は高いけどおいしい『ふたつ木』の商品が今すごく売れていますね。原料にこだわって国産のマンゴーを使っている商品です。『ふたつ木』の商品が売れている場面を見ると、お客様の好みが変わったなということに気付かされるのと同時に、『二木の菓子』はもう安売りのだけの会社じゃないんだなと、逆に我々も気付かされています。
薄利多売で安いものをどんどん売るより、こだわりの商品を購入して下さるお客様に合わせて、我々も変わり続けていかないといけないなと思います。
―店長として働く中で壁に当たった瞬間を教えてください
アメ横から異動になって、新松戸店で店長をやらせてもらった時ですね。初めて店舗を任されたので、それはそれは嬉しかったです。でも今までアメ横でやってきたのと比べて、郊外店はまるで違いました。
アメ横では、待っていてもお客様が来てくれます。だから、お客様が来て当たり前という感覚があったのですが、郊外店になると、販売促進の努力がないと見向きもしてくれない。『二木の菓子』という看板があっても、店の外に出て行って集客をしないと、わざわざ車を出してお菓子を買いに来てくれなかったんです。
一人でも多くのお客様に足を運んでいただくために、本当に色々なことを試しました。幼稚園へ配達に行ったりだとか、外に出てチラシを撒いたりだとか、ダイレクトメールを作ったりだとか、タグ貼りチラシを作ったりだとか、そうした細かい努力の積み重ねが実って、少しずつお客様が足を運んで下さるようになっていきました。お客様がチラシを握りしめて来店されるのを見た時は嬉しかったですね。今はアメ横に戻ってきましたが、店長として積極的に打って出た経験は、今でも大きな糧になっています。
―これから大野さんが取り組んでいきたいことを教えてください
私自身が新しい商品を探す中で、『これ、面白い!』という商品を見つけるたびに『何とかこのお菓子を知ってもらいたい』と思いますし、菓子業界に携わる者として、価値ある商品の販売を頑張りたいという想いが、大いにあります。 最近の傾向として、おいしいと思うものにお金を出してくれるお客様が増えているので、無くなってしまいそうだけど、今までに味わったことのないようなおいしいお菓子を『二木の菓子』で売っていくことが、苦境に立たされている地方の中小零細の菓子メーカーを支える意味でも、これまで以上に重要になると考えています。
近年では、外国人の観光客が増えていますが、外国人向けの商売をするというよりは、日本産で、おいしくておいしくて、何度も買いたくなってしまう商品を売り出していくという二木の王道を突き進んで、外国人観光客にも、日本のお客様にもどんどん『二木の菓子』の魅力を発信し続けられるというのが理想ですね。
■監修企業からのコメント

株式会社二木 代表取締役社長 二木 正人

噴出し左
今回取材に伺ったのは、アメ横にある二木のビッグ館。平日の夕方という時間でしたが、まっすぐ歩くのが難しいほど、ビッグ館への道は混みあっていました。会社の強みを『安さ』から『品揃え』へ、そして『品揃え』から『とにかくおいしい』へと変化させることができたのは、競合ひしめくアメ横という環境で、常に他社に勝つために努力をつきつめてきた結果なのだと感じました。
■掲載企業コメント

株式会社二木 代表取締役社長 二木 正人

噴出し右
取材を終えた感想
『美味しい⇒笑顔と会話が弾む⇒人の絆造りへ⇒豊かな楽しい生活』の実現が健康・体力と共に、お菓子の社会的意義。その実現の為に、会社組織、人事を現場のコミュニケーション重視で問題解決し、変化の速く激しい時代において、基本理念がぶれないよう社内で、共通認識を持って当っていこうと思う。取材を通じて、その改善行動を現場と一緒に汗をかいて進めていくことが重要だと再度実感した。
株式会社二木
代表取締役社長 二木 正人
1947年 二木源治が板橋区にて『おこし』『バクダンあられ』『かりん糖』などの製造、行商を開始
1949年 12月に御徒町に店舗を構え、販売に業態を変化させる
1951年 現在の第一営業所を設立し、『現金問屋 二木の菓子』となる
1956年 1月に第二営業所を開設すると同時に社名を『株式会社 二木』と改める
1973年 第二営業所の場所にゴルフ用品専門店『二木ゴルフ』を開店
1996年 アメ横以外にも出店、菓子・食品のほかペットフードを扱う
2003年 アメ横ニューセンターをビッグ館へリニューアルオープン
2007年 千葉県千葉市にグローボ蘇我店出店
2012年 東京ソラマチに出店
2015年 ふたつ木フレンテ笹塚店オープン
創業年 (設立年) 1947年(1951年)
事業内容 菓子・食品問屋卸小売業
所在地 東京都板橋区清水町66-3
資本金 1,200万円
従業員数 98名
企業URL http://www.nikinokashi.co.jp/

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